嘘つきアーニャの真っ赤な真実

Praha

米原万里

嘘つきアーニャの真っ赤な真実

角川書店

2001年(文庫は2004年)に刊行された、作家でロシア語同時通訳者だった米原万里さんのエッセイです。

1960~1964年の5年間、父親の仕事の都合で当時のチェコスロバキア共和国の首都プラハで暮らすことになった米原さんは、世界50ヵ国から来た子供たちと一緒に、8年制のソビエト学校に通います。そこで3人の友人、ギリシア人のリッツァ、ルーマニア人のアーニャ、ユーゴスラビア人のヤースナと出会います。日本に帰国してから3人に会うことはありませんでしたが、30年後、米原さんは3人と再会する機会を得ます。この作品では、ソビエト学校時代と、再会してから知ることになる3人の現在の状況が書かれています。

米原さんはエリツィンやゴルバチョフといった各国の要人の通訳も務めた第一線で活躍するロシア語の通訳者でした。一般的な通訳の仕事をするよりも、国家、文化、言語が人々にあたえる影響を強く感じていたのではないでしょうか。ソビエト学校時代には感じなかった国家や民族という壁は、再会した3人の生き方を大きく翻弄していました。
米原さんたちが暮らしたプラハでは、1968年にプラハの春があり、その後ワルシャワ条約機構軍がチェコスロバキアに侵攻します。チェコスロバキアという国自体、その後チェコとスロバキアに分離します。
リッツァによると、チェコはドイツに近く、スロバキアはロシアに近いようです。リッツァはプラハのカレル大学卒業後に医者となります。チェコ語、ロシア語、ギリシア語、ドイツ語がしゃべれる彼女は、多くの移民などから頼りにされています。リッツァは一時帰国したギリシャに失望します。彼女は長年ヨーロッパで暮らしてきたことで自らをヨーロッパ人とみなし、祖国のギリシャに帰るつもりはないようです。
アーニャの祖国のルーマニアでは、チャウシェスク政権が打倒された後も国民の苦しい生活は変わりませんでした。アーニャはイギリス人と結婚してイギリス人になりますが、当時のルーマニアでは外国人と結婚するのは非常に難しいことでした。何故、そしてどうやってアーニャは外国人と結婚したのか…。
ヤースナの祖国はユーゴスラビアです。ヤースナのお父さんのパルチザン運動についての話が印象的でした。ナチスと戦い独立を勝ち取ったユーゴスラビアですが、1990年代に悲惨な紛争が起きます。米原さんとヤースナが再会したときもまだ紛争中でした。ヤースナは紛争によってそれまで意識してこなかったイスラムという自分の出自に苦しみます。子供時代に無邪気に夢を語るヤースナを知っているから、空気のように生きたいという大人になったヤースナの言葉にやりきれない思いがします。

この作品は、移り行く時代に生きる市井の人たちのリアルな生活、思いを知ることができるノンフィクションでもあります。米原さんはこの作品で第33回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞します。

3人に再会したときのことは、NHKの「世界・わが心の旅」という紀行番組で「プラハ・4つの国の同級生」というタイトルで放送されました。2026年5月、「時をかけるテレビ」という番組でこの番組を再放送していました。今年は没後20年にあたる節目の年だったので再放送してくれたのだと思います。
米原さんが亡くなって20年も経つのに、この本の中の語り手のマリ(=米原万里)は今でも生き続けています。マリが語るソビエト学校時代のエピソードは、大人が子供時代の思い出を語るというのではなく、当時の少女がそのまま現代にタイムスリップして、昨日あった出来事を家族に伝えているかのような臨場感をもっています。
子供時代に親友に対して抱くまっすぐな気持ちは、どの時代、どの国でも変わりがなく、しかし大人になるとほとんどの人はそんな気持ちを忘れていくのかなと、少し切なくなりました。

参考文献
「米原万里 新装版: 真夜中の太陽は輝き続ける」 (文藝別冊)

※本作品は、「リッツァの夢見た青空」「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」「白い都のヤスミンカ」という3つの章から成り立ちます。アイキャッチ用に描いた絵は、チェコの国旗と3人の顔を組み合わせてみました。

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