ポルトガル沖、約1000km。この絶海にアゾレスと呼ばれる、9つの島からなる群島がある。
地図で位置を確認すると、陸地からはだいぶ離れていて、GPSがない時代にこの島々に船でたどり着けるなんて信じられない。しかし、1427年、大航海時代の初期には、ポルトガル人がアゾレスを発見している。
さらに驚くべきことに、紀元前4世紀には、この地に到達したカルタゴの人々によって神殿が作られていた形跡があることが、2011年に判明した。
カルタゴは、紀元前9世紀、地中海のど真ん中にあるシチリア島の南西に位置する北アフリカの湾(現在のチュニジア共和国のチュニス湾のある辺り)に、海洋民族フェニキア人が建国したといわれている都市国家。地中海の覇権を争ったポエニ戦争で共和制ローマに敗れ、紀元前146年に殲滅されてしまうので、数百年しか存在していなかったが、地中海のあちこちに拠点を持ち、地中海貿易を牛耳っていた時代もある。どこまでが真実かわからないが、アフリカ大陸を一周していたという記録も残っている。
カルタゴの名称はフェニキア語で「新しい都」を意味する”カルト・ハダシュト”に由来する。そのカルタゴを作ったフェニキア人は、ギリシア神話に出自が残るくらいなので、古代からギリシア人を含めた地中海世界で影響力をもった民族だったと考えられる。神話では、ポセイドンの息子のアゲノール、そのアゲノールの息子のポイニクスがフェニキア人の祖といわれている。
アルファベットのもとになるフェニキア文字の発明で知られているフェニキア人は、紀元前、パレスチナ付近を中心に海上交易で活躍していた。海上交易で欠かせない船作りには、その付近に広がる巨大なレバノン杉の森林の木材を利用していたらしい。伝説では、紀元前9世紀頃、フェニキアの都市テュロスの女王ディドーがカルタゴを建設したといわれている。
古代オリエントと呼ばれるエジプト、地中海東岸、アナトリア(今のトルコ)、メソポタミアにかけての地域では、古くから人々が農耕を始めていて、人口も多く、都市や国家が形成されていた。アラビア半島でラクダが家畜として使われると、メソポタミアから地中海東岸に向けての交易のための隊商が行き来するようになる。地中海東岸からエジプトなど地中海沿岸諸国への輸送基地として、交易を生業とするフェニキア人の都市国家がいくつか建設された。前述したテュロスもそのひとつ。紀元前10世紀前後、エジプトやヒッタイトなど大国の力が弱まると、それに代わるようにフェニキア人が地中海交易の主役になっていく。フェニキア人は、シチリア島やマルタ島、北アフリカやスペインなどに、海上交易の拠点となる都市を建設していく。なかでもカルタゴは、本国のテュロスが滅亡した後も繁栄し続け、ギリシアやローマと地中海の覇権をかけて争うこととなる。
参考文献
森本哲郎 「ある通商国家の興亡」 PHP研究所
小川英雄 「古代オリエントの歴史」 慶應義塾大学出版会
「アゾレス諸島」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』より。
2023年5月28日 (日) 00:50
[URL] https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%BE%E3%83%AC%E3%82%B9%E8%AB%B8%E5%B3%B6